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浜田省吾を聴いてみたい方に
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傷心
 浜田省吾1980年発表のアルバム「Home Bound」収録曲「傷心」です。
浜省の曲の中で一番暗い曲なんだと思う?
そんな会話が、昔よくありました。
はっきり言ってどーでもいいよって、いつも思っていましたが、浜省で暗い曲って言ったら、やっぱりこれしかないだろうって内心考えていたのが、この「傷心」です。

どれほど泣いたなら あなたをあきらめられる
どれだけ遠くへ行けば忘れられる
他の誰かを好きになろうとしたけど
いつも あなたとのまぶしいときがよみがえるだけ
手紙も思い出の指輪も捨てた今でも

テーマは「失恋」。
にしても、「傷心」っていうタイトルはあまりにもストレートじゃないかって、子ども心に感じていました。
イマイチださいなあと。

けれども、この曲の良さが本当に理解できたような気がしたのは、高校1年生の秋に、生まれて初めて失恋をしたときです(笑)
フレーズのひとつひとつが、いちいち自分自身の胸に刺さってくるような気がしました。
もちろん、高校生の恋愛ごっこだったから、指輪とか約束とか、何もないピュアな恋だったんですけどね。

受話器を握りしめて 夜がまた明けてゆく
一言その声を聞けたら眠れるはずなのに
あの人いつもやさしく
あなたを忘れることができるまで待ち続けると言ってくれるけど
冷たいあなたの背にひかれ 顔うずめ このまま
冷たいあなたの背にひかれ 顔うずめ このまま

未練タラタラ、いつまでも一人の女性が忘れられないという情けない男の典型的パターンが、なぜか浜省にはよく似合うんです。
そして、そういう気持ちが、そのときの自分にはまたよく理解できるような気がして、とにかくレコードから録音したカセットテープの音源を何度も何度も、本当に擦り切れるまで聞いたものでした。

特に、最後のフレーズは素晴らしいと思いましたね。
忘れられない愛にしがみついている男の弱さ。
でも、本当の男なんて、実はそんなものだと思いませんか?

※今回は全然解説になってません!
  こういう思い入れの強い曲はダメかもしれませんね〜☆

| 全曲レビュー(6-HOME BOUND) | 23:01 | - | - |
ガラスの部屋
浜田省吾1980年発表のアルバム「Home Bound」収録曲「ガラスの部屋」です。
このアルバムからロックンロール全開のスタイルへと転換した浜田省吾ですが、バラードでも素晴らしい作品をいくつも残しています。
ブルーススタイルのこの曲も、当時の浜省らしい作品として、地味に人気のある曲でした。

テーマは、またまた「壊れていく愛」。
この時期の浜田省吾のラブソングの多くには、少しずつ壊れていく愛が実によく登場します。
当時の子どもたちは「片恋」とか「失恋」などではなく、「破恋」であるところに、大人のラブソングを感じたものです。
ハマショー、カッケー!みたいな(笑)
 
床の軋む狭い部屋で 体寄せて眠ったね
いつかお前こんなとこから連れ出すと誓った 闇の中で
固い喉にコーヒーだけ流し込んで走ったね
駅のホーム 日射し浴びて お前は誰より素敵だった
疲れ果てて すれ違って 少しずつ欠けていく優しさ
でも愛まで壊れてくとは思いもせずに

歌詞は、二人の男と女の暮らしの場面から始まります。
床がキシキシと音を立てるような古くて、そして狭い部屋。
体を寄せ合って眠るのは、もちろん部屋が狭いからで、同時に二人の愛の深さを感じさせます。

暗闇の中、男は女の肩を抱き寄せながら呟きます。
「きっといつか、こんなところから連れ出してあげるよ」
翌朝、二人は会社へと出勤していきます。
寝起きで冴えない頭を切り換えようと、熱いコーヒーだけを流し込んで、二人は仲良く部屋を出たことでしょう。

朝日を浴びて駅のホームに立つ彼女を見て、男は彼女の美しさに幸せを感じています。
そんな二人の生活描写は、まるで映画のワンシーンのようです。
そして、そんな幸せな生活描写から一転して、曲は説明的なフレーズへと転換します。
あるいは、最初の生活描写は、幸福だった頃を思い浮かべている、男の回想シーンだったのかもしれません。

貧しい暮らしに疲れ果てていく二人。
忙しい仕事に追われて、少しずつすれ違っていく二人の心。
こうした場面展開は、浜田省吾のラブソングの多くの作品で用いられているもので、そこに、永遠の愛に対する浜田省吾の懐疑的なスタンスが一貫して現れているのです。
 
待ち合わせて食事しても 何も話すことがない
いつからこんなに遠く離れてしまった二人の心
車なんて欲しくもない 広い部屋もいらないよ
寒い夜を暖めあえた二人の温もり ただそれだけで
 
曲の後半で、二人はとうとう破局を迎えます。
そして、愛が壊れた原因が明確に示されていないことも、こうした作品に共通している特徴のひとつです。
それは、多くの愛がひとつの決定的な理由によって失われていくものではなく、日常の些細なすれ違いが引き起こすものであるということを、作者が経験的に知っていたということなのかもしれません。

曲の冒頭部分で、「いつかこんなとこから連れ出す」と誓った主人公の台詞。
そして、曲の終盤で呟かれる「車なんていらない、広い部屋もいらない」という主人公の台詞が対照的なコントラストを見せて、音楽は終わります。

この作品の見所は、まさしくこの「車なんて欲しくもない」という最終フレーズの部分。
失った愛の大きさを主人公が体全体で受け止めていく様子が、何気ないつぶやきという形で最大限に表現されているのです。

「ガラスの部屋」という曲名は、1969年に公開されたイタリア映画へのオマージュで、青春映画への造詣が深い浜田省吾らしいタイトルですね。

| 全曲レビュー(6-HOME BOUND) | 22:53 | - | - |
反抗期
浜田省吾1980年発表のアルバム「HOME BOUND」収録曲です。
10代の少年が初めて家出をした、その一夜の物語を歌ったものですが、そこで少年が経験したものは、決して夢見ていたような楽しいものではありませんでした。
浜田省吾がまだ10代の少年達の代弁者的な立ち位置にあった時代の名曲です。

ボストンバッグにラジオと着替え押し込み
退学届けと手紙ポケットに入れて
今夜お前は世界を相手に戦い始めるティーンエイジブルー
寒さしのごうと映画館のドアを開け
ジェームス・ディーンの横顔見てももう以前のように熱くなれない
ロビーで煙草ふかすティーンエイジブルー
息が詰まるほど愛に満ちた家 泳ぎ出さなきゃ溺れそう
 
少年が家を出た理由は「息が詰まるほど愛に満ちた家」でした。
何か具体的な不平や不満を抱いているというよりは、「漠然とした満たされない何か」に動かされるようにして、主人公は家を出たのではないでしょうか。
しかし、その家出は決して充実感に満ちた華々しいものではありません。
大好きなジェームス・ディーンの映画を観ていても、「もう以前のように熱くなれない」、どこか上の空で時間だけが過ぎていきます。
あるいは、彼はジェームス・ディーンの映画に触発されて、今回の家出を計画したのかもしれません。

「今夜、お前は世界を相手に戦い始める」のフレーズが、実に主人公の強い決意を表していますが、そうした決意と現実とのコントラストが、この曲の大きなテーマとなっていきます。
個人的な感想ですが、この「今夜、お前は世界を相手に戦い始める」の表現方法は、どこかARBの石橋凌を連想させる表現です。

酔いつぶれた町 深夜喫茶午前4時
誰かにさよなら言おうと電話の前
だけど誰ひとり思い浮かばない
寒いほど一人ティーンエイジブルー
 
モヤモしたものを抱えたまま、公衆電話の前に立ち、誰かと話をしたいと思っている。
「さよなら言おうと」はただの言い訳で、結局のところ、大きな孤独に耐えきれなくなっているというのが、主人公の本音だったことでしょう。
ところが、その孤独を受け止めてくれそうな相手が、誰も思い浮かばない。
現在のように、誰もが携帯電話を持ち、いつでも誰かと繋がっていることを求め合う時代ではありませんでしたから、このような状況になって、初めて自分自身の本当の孤独と向き合うといったことが起こりえたのかもしれません。
 
逃げ出したところで やがて同じこと
誰も手を貸してはくれないよ
明けてゆく空を見上げて舗道歩けば
口びる噛んでも涙止まらない
どこへ行こうか もう帰ろうか
でもそれじゃまた元のティーンエイジブルー
 
一夜が明けようとしたところで、少年は気がつきます。
変わらなければいけなかったのは、彼の回りの環境ではなく、彼自身であったということに。
「逃げ出したところで、やがて同じこと」が、この作品のテーマでしょう。
居場所を変えたって、誰も手を貸してくれるわけじゃない、自分自身が立ち上がるしかない。
しかし、そうした現実に気がついたからといって、彼自身がすぐに変わることができるわけでもない。
それは多くの少年達が超えなければならない壁のようなものです。

「どこへ行こうか、もう帰ろうか、でもそれじゃまた元のティーンエイジブルー」というフレーズは、帰りたいけれど帰れないという少年の日の葛藤を端的に表現しています。
世界を相手に戦い始めようとしていた主人公が、現実に戦っているのは自分自身だったという図式が、少年時代の「どうしようもない苛立ち」というやつの象徴だったのかもしれませんね。

あるいは、こうした失意のストーリーそのものが、ジェームス・ディーンへのオマージュとして仕立て上げられているといった解釈も成り立つのかもしれません。
それは、「傷つきやすい少年」の代名詞でもあった浜田省吾そのものであったとも言えるのです。

サウンド的には、このアルバム「Home Bound」から浜省が積極的に採り入れだした、原点としてのロックンロール・サウンドで、「あばずれセブンティーン」とともに、当時のライブ終盤を一気に盛り上げる重要な曲でした。
作品数が膨大な数となった現在から見ると、まるで宝石の原石みたいにピュアで美しいロックンロールのようにも思えます。

当時のステージで、浜田省吾はこんな話をしています。

次は十代の人たちのために歌を作ったんで、聴いてもらおうと思うんだけど。
(中略)
今も、十代の人たちって、ほとんど家が嫌いなんだよね。
ある意味では、すごい甘えてる、だけどとってもイカしてる。
そんな精神の反逆児たちのために2曲作ったんで、ぜひ聴いてください。

誰もが失ってしまう少年時代のやりきれない思いが、ロックンロールという表現の中に記憶されて、そして、今もまだ生き続けている。
そういうことです。

| 全曲レビュー(6-HOME BOUND) | 01:48 | - | - |
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