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浜田省吾を聴いてみたい方に
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モダンガール
浜田省吾1981年発表のアルバム「愛の世代の前に」収録曲です。
アルバム1曲目の「愛の世代の前が」が激しさを残して終わると、その余韻の中、静かにモータウンっぽいピアノの音が入ります。
当時からとても人気のあった曲で、本人もお気に入りと見えてリメイク版も発表されていますね。

昨夜 俺のベッドを抜け出しソファーで
ぼんやり窓の外を見てたね ラジオ消して
"気にしないで" 化粧直し出ていく君
Modern Girl 寂しさがとごからくるのか
Modern Girl 理解るまでさまようつもりなの
まだ子供だった僕にとって、この曲はとても大人の雰囲気を漂わせた曲でした。
特に、女の子がベッドを抜け出して出ていくというシチュエーションは、かなりヤバいシチュエーションだったように思います。
後に、「DOWN BY THE MAINSTREET」に収録された『SILENCE』でも、「彼女はそっとベッドを抜け出し MAKE UP DRESS UP ため息ついて」というフレーズがあり、浜田省吾の中では女性が男性のベッドを抜け出していくという状況設定が定番化している印象がありますね。
彼女が部屋を出ていくときにつぶやいた「気にしないで」という言葉は、何を意味しているのでしょうか。
このあたりの解釈はかなり様々な憶測を呼ぶわけですが、「ぼんやりと窓の外を見ていた姿を見られたこと」に対する言い訳だったと考えるのが、もっともストレートな解釈のような気がします。
もしかすると、ぼんやりと窓の外を見ていた彼女に気が付いて、主人公は「どうかしたの?」と訊ねたのかもしれません。
「ううん、なんでもないの」と言いながら、彼女は着替えを済ませ、化粧を直して部屋を出ていったのかもしれません。
部屋を出るときに、本当になんでもなさそうに「気にしないでね」という言葉を残して。
このあたりの歌詞の作り方はドラマ性に富んでいて、この時期の浜田省吾の作品作りに対する姿勢をうかがわせます。

"友達と一緒なの 今夜は逢えないわ"
受話器越しに聞こえる口笛 シャワーの音
明け方に電話しても出てこない
Modern Girl 傷跡の残らない夜は
Modern Girl 君の背中 爪痕を残すだけ
主人公の恋人は、とても浮気な女性です。
友達と一緒にいるから、今夜は逢えないわと電話で話す彼女の声の向こう側からは、口笛を吹きながらシャワーを浴びている男の存在が感じられます。
シヤワーの男性も、かなりゴキゲンの様子ですね。
もちろん、懐疑的になった主人公の気持ちはボロボロで、眠られぬ夜を過ごした彼は、明け方に彼女の部屋へ電話してしまいます。
しかし、きっと男と一緒に寝ているだろう彼女が、電話に出てくることはありません。

モダンガールとは、きっと男と男の間を飛び回っている「翔んでる女」のことを意味していたのかもしれません。
そんな彼女に振り回されながら、彼女と別れることもできない主人公の弱さは、浜田省吾の歌の原点になっている部分でもあります。
彼女がそんな「軽い女性」であることを知っていながら、彼女の中に潜む悩みや苦しみを感じ取ることで、彼は彼女とのバランスを取っているのかもしれません。
「傷跡」とは、彼の心に残る傷跡だったかもしれません。
あるいは、過去に負い目を持つ彼女の傷跡だったかもしれません。
自分の傷跡を忘れようとする彼女は、背中に爪痕を残すこと(=男性とセックスすること?)で、現実から逃避しようともがいていたのでしょうか。

女性に振り回される浜省的ラブソングは、僕の中ではひとつのフェバリット・スタイルで、それはタフでクールな男性像よりもずっとリアルで親近感を持たせてくれます(←自分が情けない男ということか(^^;)

また、この歌のサウンドは、僕にリズム&ブルースの楽しさを教えてくれたものでもありました。
浜田省吾といえば、ビートルズ・サウンドと同じくらいに、1970年代のモータウンを意識したサウンド作りが特徴ですが、ロックンロール一辺倒だった僕がR&Bに触れるきっかけとなったのは、やはり浜田省吾だったのです。
※RCサクセションのR&Bサウンドにも大きな影響を受けましたが。

なお、リメイク版は『君に捧げるlove song』のカップリングとして発表されたもので、ライブツアー「ON THE ROAD 2001」でのアレンジが好評だったことを受けて、2003年に発売されたもの。
サウンド的には別の曲としてとらえるべきで、僕個人としてはやはりオリジナル・バージョンでのライブを聴きたいです☆

| 全曲レビュー(7-愛の世代の前に) | 22:33 | - | trackbacks(0) |
独立記念日
浜田省吾1981年発表のアルバム「愛の世代の前に」収録曲です。
10代の少年少女の代弁者だった時代の浜田省吾を感じることができます。
テーマは「歪んだ教育」。
現代社会の歪みで生きる少年を主人公に据えて、学校教育の在り方に疑問を呈するストーリーになっています。

教室じゃ俺いつも窓の外を見てるだけ
いかれたクラスの奴等の話など上の空
単車 ディスコ 喧嘩 煙草 街頭の女達
退屈で死にそうな授業
Highschool Jail Highschool Jail
今すぐ走り出したいのに
止まれと言われ 歩けと言われ
転んだだけで見捨てられて
主人公の少年はクラスメートたちと相容れることのできない価値観を抱いていて、繰り返される学校生活に満足できないものを感じています。
不良少年達が徒党を組んで無頼な行動を巻き起こすのに対して、この少年は徒党を組むことを否定し、クラスの中で完全に浮いた存在となっている自分自身を見つめています。
少年にとって、学校はまさしく「監獄」であり、逃れることのできないその空間に夢見ることさえありません。

奴等 単車連ねて走る からっぽの頭で
独りじゃ何も出来ず 何処へ行くのかもわからずに
Highschool Jail Highschool Jail
教科書から削る文字は 他にもあるぜ
例えば正義 例えば希望… 数え切れない
Highschool Jail Highschool Jail
サーチライトに照らし出され震えている
俺が見えるかい? 鈍く光るナイフ手にした
当時は教科書問題に日本が揺れだ時期で、浜田省吾は敢えてこの時期に「教科書から削る文字」を題材としています。
「正義」や「希望」を教科書から削る文字だと主張している少年にとって、日本社会は既に正義や希望を期待できる社会ではないことを感じています。
独りじゃ何もできないくせに、からっぽの頭でバイクを乗り回すクラスの連中を軽蔑しながら、主人公の少年は教科書の中に登場する「仮装社会」に大きな失意を抱いているのです。

この曲は、高校生だった頃の僕にとって、大きな勇気を与えてくれた作品でした。
学校の退屈な授業や、共通の話題に乏しいクラスメートや、そして何より価値観の違う周囲の連中なんかとうまくやっていくことができず、僕はいつでも独りで生きていたような気がします。
休み時間には古い小説を読み、放課後にはゲームセンターで時間を潰し、家に帰れば朝までレコードを聴くような毎日でしたが、それでもクラスの連中のくだらない話に付き合わされるよりはずっと有意義な時間だったと思っています。

斉藤和義が「僕の見たビートルズはTVの中」で、「♪分けの分からない流行りに流されて、浮き足だった奴等がこの街の主流」と歌っていますが、僕にとってクラスの連中はまさしく「浮き足だった奴等」であり、そんな彼らが「主流」であった学校生活は、ほぼ参加するに値しない集団生活でした。
村上春樹の「ノルウェイの森」に出てくる主人公の生き方に、ちょっと似ていたかもしれません。
けれども、それは本当は僕の望んだ生き方ではなかったし、僕だって本当はクラスの仲間と一緒に楽しく笑ったり、くだらない冗談や噂話なんかで盛り上がったりしたかったんです。
けれども、僕にはどうしても彼らの話に同調することはできなかったし、くだらないジョークや噂話に付き合ったり笑ったりすることはできませんでした。
協調性のない人間、それが僕の評価です。

そんな僕にとって、この「独立記念日」は精神的にも肉体的にもかなりフィットするタイプの音楽でした。
ダイナミックなロックンロール・サウンドに乗せてシャウトする浜田省吾、僕は高校を「ハイスクール・ジェイル」だなんて単純には思えなかったけれど、それでもこの曲に溢れている少年の純粋なメッセージには心を踊らされました。
いつも独りでいることの卑屈さを、僕はこの曲にとってカバーしていたんですね、おそらく。

主人公の少年が「鈍く光るナイフ」を手にして、サーチライトに照らし出されている情景は、日本という国に対する明らかな警鐘です。
こういう事件を起こしちゃいけないんだ、そのためにも教育環境を考えていかなければならないんだという。
そして、現実的に少年による重大犯罪は増加を見せ、歪んだ少年達を主人公とした歪んだ日本の社会が誕生しています。

結局、1981年から、世の中はなにも解決してはいないんですよね。
| 全曲レビュー(7-愛の世代の前に) | 19:35 | - | trackbacks(0) |
愛という名のもとに
浜田省吾1982年発表のアルバム「愛の世代の前に」収録曲です。
今日はなんだかピュアなラブソングばかり聴きたい気分(笑)
浜田省吾バラードのひとつの究極を極めた歌で、もちろんファンの間でも伝説的に語り継がれている名曲です。
テーマは「大人の別れ」。
一緒に暮らしていた二人の心が、いつの間にかすれ違っていたという浜田省吾先生の必殺パターン。
少年の頃には理解できなかったものが、今聴くと理解できるような気がするから不思議です。

ごらん 街の灯りが消えていくよ
もうすぐ始発が走り出す さよならだね
君の肩を抱くこともできないまま…
ドアの前にふたつのスーツケース 鍵は机の上
眠れぬ夜は電話しておくれ 一人で朝を待たずに
真夜中のドライブ・イン
昔のように急いで迎えに行くよ
少年の頃、大人の世界って何てカッコいいんだろうって、この歌を聴いて思いました。
大人の別れって、こんなにクールで優しいものなんだって。
それが決して当たり前ではないということを悟ったのは、もちろん大人になってからのこと。
どうせなら、こんなにきれいな恋愛をしてみたいものです。
今からじゃ、もう無理か(笑)

いつの間にか二人 ベッドの中 時計の音だけ 聞いてたね
互いに欠けてる夢の色を別の何かに置きかえて
今は二人別れて暮らす他に答えはないけど
眠れぬ夜は電話しておくれ 二人もう一度探そう
恋人達が胸をときめかせ 寄り添い迎える朝を
この歌の特徴は「救いがある」っていうことなんでしょうね。
別れて暮らすことになってしまった二人ですが、決してお互いに愛想を尽かしたわけではない。
というよりも、まだ愛し合っているということをお互いに信じているからこそ、別々に暮らしても大丈夫なんだという自信のようなものさえ感じられます。
俗にいう「冷却期間」を置くというのか、お互いに自分自身を見つめる時間が必要な時っていうのは、やっぱりあるのかなと思います。
それは何年も一緒に暮らしてきた夫婦でもきっと同じことで、自分自身をしっかりと見つめ直すことで、自分の愛を確かめることができるのかもしれません。

眠れぬ夜は電話しておくれ
ふたりもう一度探そう
愛という名のもとに失した無邪気な君の笑顔を
無邪気な僕の笑顔も
この曲は、1992年にフジテレビ系で放送された連続ドラマ「愛という名のもとに」のイメージソングてなっています。
主題歌が「悲しみは雪のように」で、初めて浜田省吾のシングルがチャートの第1位に輝いた時のドラマですね。
そういうドラマのタイトルとして使われたくらいに、浜田省吾作品の中でも、この曲の評価は高かったんですよね。
でも、考えてみると、あのドラマの放送前と放送後では、浜田省吾自身の評価も大きく変わったような気がしますね。
今にして思うと、っていうやつで。

考えてみると、この頃の浜省ラブソングって、本当にピュアな曲ばかりですね。
愛と青春のシンガーなんて言われていたのもこの時代。
社会派、メッセージ系なんて呼ばれたりもしていたのに、ピュアなラブソングが秀逸って素晴らしいことだと思います。
| 全曲レビュー(7-愛の世代の前に) | 21:21 | - | trackbacks(0) |
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