浜田省吾1982年発表のアルバム「プロミスト・ランド」収録曲です。
アルバムを代表する作品であり、シングル・カットされています。
10代の少年を主人公に据えながら、少年としての意見に終わるのではなく、社会的なメッセージを込めてているところに、この時期の浜田省吾としての完成作品と言えるかもしれません。
俺はこの街で生まれ 16年教科書をかかえ
手にしたものは ただの紙切れ
同じ様な服を着て 同じ様な夢を見て
瞳の中 少しずつ死を運び込むような仕事に追われている
今夜 誰もが夢見ている
いつの日にか この街から出ていくことを
工業地帯の端に造成された新興住宅街「希望ヶ丘ニュータウン」で生まれた主人公の少年は、その街で一生懸命に勉強してきますが、高校受験に合格した彼が得たものは、満足感や充実感ではなく、「ただの紙切れ」を手にしただけという空虚感でした。
夢を持って入学した高校では、誰もが同じ制服を着て、同じような夢を見ています。
繰り返される単調でくだらない毎日は、まるで「少しずつ死を運び込むような仕事に追われている」生活にしか見えなかったことでしょう。
退屈な生活の中で、彼は決意していきます。
「いつの日にか この街から出ていく」ことを。
都市部の学校に通った人はどうか分かりませんが、僕は北海道の片田舎の高校に通っていましたので、早く街を出たいという意識は、ずっとありました。
それが浜省の影響だったのか分かりませんが、とにかく早く街を出たい、高校を卒業したらこんな街にはいたくないと思っていました。
それは、石橋凌が「おふくろがイヤになったんじゃない この家がイヤになったんじゃない 今はただ この灰色に褪せた街を出ていきたいだけ」という気持ちと同じようなものだったのかもしれません。
それだけに、中学・高校と、この曲はものすごいリアリティをもって、僕に伝わってきていました。
扉(ドア)をひとつ閉ざす度 窓をひとつ開けておく
夢と挫折の中を人はさまよってる
それが彼らのやり方
だけど 人の心まで積み重ねてロッカーの中
ファイルすることなんか出来ないさ
この辺りの歌詞には、浜田省吾が作品に対する意識の高まりを、いやが上にも感じさせてくれます。
それまでのロックンロールの典型的な単純な歌詞ではなく、かなり文学的な表現を意識的に取り入れているものと思われます。
「ドアをひとつ閉ざすたび 窓をひとつ開けておく」の部分は、夢にさえ保険をかけなければならない現代人の生き方を比喩しているものと思われます。
つまり、ドアを閉ざすことは自分の退路を断つことを意味していますが、同時に窓を開けておくことによって、自分の逃げ道も同時に確保しておくという生き方です。
もっと具体的にいえば、ひとつの夢が叶わなくても、次に別の夢を用意しておくことで、人は大きな痛手を受けることはなく、それが現代の人間の生き方なんだと、作者は指摘しているのだと思うのです。
そのことを示唆しているのが、次の「夢と挫折の中を 人はさまよってる」という部分です。
結局、現代人にとって夢は叶うものではなく、挫折することを前提としている部分があり、そのために人は夢と挫折の中を行ったり来たりしているのだと、作者は言いたかったのではないでしょうか。
続く有名なフレーズの解釈は、実はかなり難解です。
まず、ここで作者が意図していることは、ファイリング社会への批判だろうということです。
どんな記録もペーパーデータにして保存していくファイリング主義の現代社会に、作者は疑問を投げかけています。
それは、ファイリングしていくことで歴史を積み重ねていく人々の生き方に、作者はきっと納得できなかったのでしょう。
推測すれば、人はもっと現在を大切に生きるべきであるし、データを保存することよりもその瞬間を精一杯生きることに集中するべきだという思いがあったのではないでしょうか。
データ社会が人間を数値化するような傾向を生みだし、人間を人間として扱わずに、ただのデータとして扱っている社会への警笛といえばいいのでしょうか。
誰かの人生が履歴書という紙の中に記録され、それがファイリングされて積み重ねられていったとしても、それはただの表面的な記録でしかなく、人の心までファイリングしていくことはできないんだと主張するところに、作者が「人の心」をこの曲のテーマとして強くとらえていることがわかります。
現代社会を新興住宅街に置き換えることで、そこに生まれる様々な歪みを、浜田省吾は敏感な神経でキャッチし、当時としては異色のロックンロールに仕上げた。
それが現在から振り返ってみた「マイホームタウン」の評価だと思います。
ところで、歌詞の中に「マイホームタウン」という言葉が明確に出てこないところも、この作品の特徴です。
歌の中に描かれる新興住宅街、誰もが出ていくことを夢見ている街、歪んだ社会、それらすべてが彼にとってのマイホームタウン=故郷であり、同時にそれはすべての日本人にとっての「故郷」を意味してもいるのです。
サウンド的には、マイナーコードでパンチの利いたロックンロール。
前作「愛の世代の前に」に続くダイナミックでハードなサウンドは、浜田省吾のクールでタフなイメージを完全に定着させました。
同時に、浜田省吾って社会派だよね〜という世間の評価をも確立した曲と言えるでしょう。
僕は今でもこの曲を聴きながら、街を出ようと思い続けていた10代の頃のことを思い出すことがあります。
僕にとって、浜田省吾は街を出ていくための強いエネルギーだったのかもしれませんね。