浜田省吾2003年発売のシングル「君に捧げるlove song」です。
石田ゆり子主演のPVでも評判となった大人のバラード。
2003年発売のバラード・コレクション「初秋」にも収録されました。
歌詞のテーマは「妻を亡くした男の物語」というめちゃくちゃヘヴィなもの。
そして、その重いテーマに負けないくらいに、というよりも、その重たさをしっかりと受け止めて完成された楽曲になっています。
歌詞のストーリーは、ある悪天候の深夜、亡くなった妻が家に戻ってきたような錯覚にとらわれた男が朝が来るまで妻を思いだしているというもの。
あるいは、妻は実際に男の元に現れて、遺された夫を励ましていったのかもしれません。
季節はずれの台風顔負けの低気圧が
窓や屋根に雨をたたきつけて荒れ狂ってる
ベッドルームに目を覚ました君が居るような気がしてさ
思わず名前を呼びそうになる
目を閉じれば君がいる
この部屋にも想い出と呼ぶには
せつなくてリアルすぎて
ふいに胸がつまる
この歌が発表された時期、一部のマスコミ報道から浜田省吾の妻が亡くなったのではないかとの憶測が飛び交いました。
もちろん、作品は創作だったのですが、そうした誤報が生まれるくらいに、この歌にはリアリティがあったということだと思われます。
当時、作者の浜田省吾は、亡くなった父親の夢を見たことにインスパイアされたと語っていますが、そうした亡くなった者たちへの思いが、この作品のリアリティを築き上げたということなのかもしれません。
雨音が静かになり
訪れる朝の気配が別れの時を告げる
「もう行かなきゃ…」と手を振る
君の後姿を見送ってここで強く生きてく
目を閉じれば君がいる
どの部屋にも…思い出と呼ぶには切なくて
リアル過ぎてふいに胸がつまる
「…泣かないで」と笑ってる
君が見守っていてくれるからここで強く生きてく
「朝の気配が別れの時を告げる」という表現は、彼女が夜の間中、彼のそばにいてくれたことを推測させます。
愛する人を失った人が、たとえ亡霊でもいいからもう一度逢いたいと願う気持ちは、古代から受け継がれてきた人間の切ない希望です。
その切ない希望が一夜だけの間、彼に妻の夢を見させたとしても、少しも不自然ではないし、あるいはそういうことがあってもおかしくはないという願いを、僕らはやっぱり捨て去ることはできないような気がします。
深夜に亡霊が登場するという情景は、村上春樹の「羊をめぐる冒険」を連想させました。
既に自殺してしまっている親友「鼠」が、深夜に一度だけ登場するシーンです。
「君に捧げるlove song」では、亡くなった妻が彼に「泣かないで」と笑いかけ、「もう行かなきゃ」と言って消えていきます。
きっと、彼は愛する妻を亡くしてからというもの泣き続けて暮らしていたのでしょう。
仕事も手に付かず、子供達のことを思う気持ちの余裕さえ持てなかったかもしれません。
彼女のことを忘れられずに、彼女の死を諦めきれず、泣き続ける彼を見て、死んだ妻もどれだけ悲しかったことでしょう。
だから、彼女は「一度だけ」戻ってきたのです。
「季節はずれの台風顔負けの低気圧が窓や屋根に雨をたたきつけて荒れ狂ってる」状況は、非日常的な「何か」が起こりそうな予感を感じさせます。
あるいは、非日常的な何かが既に始まっていることを暗示しているのかもしれません。
「ベッドルームに目を覚ました君が居るような気がしてさ」
気が付くと、真夜中のベッドルームに死んだ彼女がいるような気配を彼は感じます。
精神的な繋がりが強かったとしたら、彼はそこに亡くなった妻の姿を見つけたかもしれません。
自分が死んだ後の家庭が心配で、彼女は彼を精一杯元気付けます。
「泣かないで」と笑いながら。
古いアルバムの中の写真を眺めながら、彼は一晩中彼女の思い出に浸ります。
彼は泣き続けながら、彼女の写真の1枚1枚に思い出を見つけていたのかもしれません。
やがて、朝が訪れ、彼女は「もう行かなきゃ」と手を振ります。
でも、彼はもう彼女を引き留めたりはしません。
一晩中泣き続けて、彼女と一緒の時間を過ごしたことで、彼は今の自分がやるべきことをきちんと理解したからです。
彼はきちんと「君の後姿を見送って」、「ここで強く生きてく」ことを自分自身に誓うのです。
ダメになってしまいそうな彼を見て、彼女はきっと何かをしないではいられなかったのでしょうね。
この歌は、妻を失った男がこのようにして立ち直っていこうとする、一夜の物語です。
なさそうに見えるストーリーが実はきちんと構成されていて、そこに歌詞の完成度の高さがあるような気がします。
そして、最大の本質は、男が立ち直るきっかけには女の面影があるということなのかもしれません。
もしも自分の妻が死んでしまったら。
もしも自分の家族を失ってしまったら。
そんな切実な仮定を、この歌は僕自身に突きつけてくるのです。