浜田省吾1986年発表のオリジナル・アルバムです。
浜田省吾が初めてオリコンチャート第1位を獲得した記念碑的な作品として、現在まで伝えられています。
このアルバム最大の特徴は、やはり2枚組であるということでしょう。
ライブ盤「ON THE ROAD」を除けば、初めての2枚組アルバムということで、この作品に懸ける作者の意気込みが伝わってくるかのようです。
実際、楽曲の多さから来る作品レベルの低下はほとんどなく、すべての作品が一定以上のレベルに維持されているというのは驚異的です。
アルバム・タイトルの「J.BOY」は「Japanese Boy」の略で、当時はそういう説明が必要な言葉でした。
まだ、J-POPもJリーグもなかった時代のことですから、それも当然ですよね。
当時は、なんだってこんな造語を使うんだろうって思ってましたから。
アルバムとしては、前作「DOWN BY THE MAINSTREET」に続く少年成長物語をテーマとしていて、生まれた街を出た少年たちが成長して、自分の存在を考えるという全体的なテーマが根底に流れています。
それまで、環境問題や教育問題などの社会的なテーマを選んできた浜田省吾が、ここで初めて自分の存在に正面から見つめ合うというスタイルを取り、その結果多くの楽曲で内省的なフレーズが見られるようになりました。
シングルカットは次のとおり。
■LONELY-愛という約束事 / もうひとつの土曜日(1985年)
■BIG BOY BLUCE / SWEET LITTLE DARLIN(1985年)
■路地裏の少年 / 晩夏の鐘(1986年)
名曲「もうひとつの土曜日」が「LONELY」のB面というのも不思議な感じがしますね。
01 A NEW STYLE WAR
02 BIG BOY BLUES
03 AMERICA
04 想い出のファイヤー・ストーム
05 悲しみの岸辺
06 勝利への道
07 晩夏の鐘
08 A RICH MAN'S GIRL
09 LONELY - 愛という約束事
10 もうひとつの土曜日
11 19のままさ
12 遠くへ-1973・春・20才-
13 路地裏の少年
14 八月の歌
15 こんな夜はI MISS YOU
16 SWEET LITTLE DARLIN'
17 J.BOY
18 滑走路 - 夕景(Instrumental)
大きな政治的メッセージを込めたダイナミックな作品として今でも根強い人気を持つ「A NEW STYLE WAR」、爽やかな青春の切なさを歌った「想い出のファイヤー・ストーム」、バブル時代を思わせる「A RICH MAN'S GIRL」、広島の原爆をテーマにした「八月の歌」、そして表題作「J.Boy」と聴き所が多い作品です。
その中にあって、「19のままさ」「遠くへ」「路地裏の少年」と続く3部作は、あえて1970年代の古い曲を歌い、自分の原点を見つめ直すきっかけとなっています。
当時のレコード盤では、この3部作はちょうど2枚目のA面に収録されている曲であり、1枚目を聴き終えて、その後斬新な気持ちでこの懐かしい曲を聴くという流れになっていました。
(ちなみに、「19のままさ」「遠くへ」はこれが初収録)。
路地裏の少年は、もちろん浜田省吾のデビューシングルですが、デビュー当時収録時間の都合によりカットされたという3番の歌詞が含まれていて、これがオリジナル・バージョンだということです。
12インチシングルバージョンとアルバム収録バージョンも異なっているので、1976年盤を合わせると、「路地裏の少年」のスタジオ録音は3パターンということになります。
サウンド的には、ニューヨークでのトラックダウンによってかなり80年代的な音になり、当時の僕はこの音が作り物っぽくて好きになれませんでした。
今聴くと、なんてことのない素朴な音なんですけれど(笑)
ちなみに、ミキサーのグレッグ・ラダーニは、ジャクソン・ブラウンの作品で著名な人で、日本でも長渕剛「HUNGRY」(1985年)のミキシングで話題となりました。
長渕の「HUNGRY」も「♪勇次〜、あの頃の夢を忘れちゃいないかい〜(「勇次」)」で懐かしいアルバムですね。
ところで、トラックダウンのためニューヨークに旅行中、浜田省吾は当時日本を離れてアメリカでの作品作りに没頭していた尾崎豊と会っているそうです。
関係者を除くと、初めて「J.BOY」のトラックダウンを終えた完成テープを聴いたのは、尾崎が初めてだったと浜田省吾は述懐しています。
このとき、尾崎は「まるで僕のためにあるみたいだ」とカッコいいコメントを述べ、浜省は「そうだよ、君のために作ったんだよ」と、これまた浜省らしいコメントを尾崎に返しています(笑)
うーん、映像で見みてみたい!
ちなみに、この時、実はエコーズの辻仁成も渡米中で、浜省や尾崎と一緒に食事をしたと書いています。
ただ、浜省の回想の中では出演者は尾崎のみで、辻仁成の名前が出てこないのはかわいそうですが。
初めてチャート第1位を獲得したことについて浜田省吾は、レコード会社が戦略的にプロモートした結果であり、そのことが分からないほどもう若くはないと、冷静なコメントを残しています。
それでも、「ON THE ROAD "FILMS"」で「終わりなき疾走」を歌いながら、♪ヒットチャートはNO.1〜の部分に力を込めているのは、ようやくつかみ取った1位の座への感動ではないかと思われます。
ちなみに、この時の映像は1988年に渚園で行われた野外ライブ「A PLACE IN THE SUN」のもの。
このアルバムチャート第1位獲得を機に、浜田省吾は確実にメジャー・アーチストの仲間入りを果たしました。
それまで、どちらかというと通好みであった彼の音楽が、流行に流される普通の若者たちの心にフィットしたからです。
実際、当時は僕の周りでも自称浜省ファンが一気に増加しました。
このアルバムの登場によって、初めて浜田省吾を聴く人が聴くべきアルバムが誕生したということだったんですよね。
今でも、「J.BOY」を聴くと、僕にはあの頃の情景がいろいろと甦ってきます。
それだけ、このアルバムは当時の僕の生活と一体化していたんでしょうね。