CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
浜田省吾を聴いてみたい方に
RECOMMEND
RECOMMEND
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
「家路」☆ビデオクリップ
浜田省吾のベストアルバム「The Best of Shogo Hamada」が発売になりましたね。
ちょっと話題としては遅いですか(笑)
普段、更新していないブログなので、このくらいのズレは全然問題ではないですよね。
せっかくアルバムが発売されたので、短期間ですが、ブログ更新してみたいと思います。
一応、ベスト・アルバム特集ということで。

さて、今回はベスト・アルバムのプロモーション用に作成されたと思われる「家路」のビデオクリップについてのレビューです。
既に、ご覧になった方も多いと思われますが、参考までにビデオの内容を。

「青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見下ろし」という歌詞に合わせるかのように、青空から夜空へと変化していく街の風景からビデオは始まります。
朝から夜へと時の流れが経過していくことが、曲のテーマに対するひとつのイメージとなっているようでもあります。

そして、長い螺旋階段を上っていく浜田省吾の姿。

ビデオ全編に、過去に発表されたビデオ映像がフラッシュバック的に使われていて、過去を振り返る流れが提示されています。
主人公は、南米(?)の女の子。
彼女は、レンタカーを借りて、地図を見ながら一人ドライブ旅行を続けますが、彼女の行く道は、かつて浜田省吾が歩いた道のりで、まるで彼女は浜田省吾の足跡を追っているかのようです。
浜田省吾本人の懐かしい映像は、まるで彼女の記憶のようにフラッシュバックし、女の子は浜田省吾と何らかの関係を持つことを想像させます。
旅行中、常に彼女は美しい小箱を持ち歩いていますが、それが何なのかは、ラストシーンまで明かされません。
彼女は、浜田省吾と訪れたらしい海辺の記憶を頼りに、自動車を運転し続けます。

そして、そんな彼女の様子を、浜田省吾はずっと傍で見つめ続けています。
どうやら女の子には浜省の姿は見えないらしく、浜省はただ静かに女の子の姿を見守り続けているのです。

ラストシーンで、彼女は思い出の渚にとうとう到着したらしく、しばらくたたずんでいた後、例の小箱を取り出します。
小箱の中から現れたのは骨壺のようなもので、彼女はその中に入っている白い粉を海へ投げ入れ、最後に白い壺も放り投げてしまいます。

ビデオはまるで短編映画のようにストーリー性をもって作られていますが、その詳しい背景やシナリオは明らかにされていません。
そのため、ビデオの主人公がどんな存在なのかということについては、随分といろいろな受け止め方があるようです。

僕が受け取ったのは、かなりオーソドックスなイメージで、主人公の女の子は「我が心のマリア」のビデオ・クリップに登場する少女・マリアで、彼女は何らかの事情により旅人である浜田省吾の遺骨を海へ捨てにやって来たのではないだろうかというものです。
このビデオ・クリップの中で、浜田省吾はヒッチハイクで拾われた男の農園で働き、そこの少女マリアと短く暗示的な会話を交わしています。
もちろん、彼女は今回の「家路」に登場する女性とは別人ですが、キャストの違いはともかく、状況設定として、僕はこの少女マリアが「家路」の主人公であってもおかしくないと思いました。
特に、それを強く感じたのは、ビデオのラストシーン近くで、かつて浜田省吾が農場を去っていくシーンがフラッシュバックで流れた後に、主人公の女の子が遠い眼差しでそのときの光景を思い出しているような絵が入っていることです。
去っていく浜田省吾の背中を見つめる映像は、やはりその背中を見送った人にこそふさわしいのではないかという、かなり単純な理由なのですが。

ただし、浜省の旅行行程を彼女が正確に捉えているという状況設定は、どうしても無理があると思われるので、ここにもうひとつの状況設定を重ねてみます。
それは、主人公の女の子は浜田省吾自身の姿でもあるということ。
ビデオの中で、浜田省吾は死んでいるのかどうかはともかくとして、とにかく浜田省吾は過去の自分の足取りをしっかり確認しようとしています。
それは、溯ってみれば浜田省吾がかつて辿ってきた「家路」への道でもあります。

おそらく、僕は浜田省吾は死んでいないのだと思います。
言い換えると、死んだのは「過去の浜田省吾」なのかもしれません。
過去を振り返り、自分の足跡を確認する行為は、新しい浜田省吾が新しいスタートを切るための儀式のようにも感じられるのです。
そう考えると、僕はラストシーンの散骨の場面が、決して突飛な設定ではないとも思えるのです。
浜田省吾の足取りを追いかけている主人公の女の子は、別に南米の少女ではなくて、日本にいる普通の浜田省吾ファンの姿です。
ファンは、過去の浜田省吾を追い続けていますが、もしかすると、浜田省吾本人は過去に対する訣別を、リスナーにも求めているのかもしれません。
散骨は別に不気味な行為ではなく、骨を海に戻してやること、つまり何もかもをスタートに戻す行為と考えることもできるのです。

少し整理してみると、このビデオ・クリップは、浜田省吾が過去を清算して新しいスタートを切ろうとしている、そんなテーマになっていると思います。
それは「家路」という曲が持つ永遠のテーマにも重なるものであり、それが「家路」という曲がアルバムの1曲目に収録されているという理由にもなっていると考えることが可能です。
「新しいスタート」を映像化するにあたって、ストーリー性を持たせるために過去の映像を使うことになりますが、特に農園の少女を主人公としてピックアップすることによって、ビデオ・クリップに映画のような効果をもたらせている。
それが、今回の僕の解釈です。
つまり、主人公の女の子や散骨というストーリーは、テーマをイメージ的に説明するための映像であり、我々はやはり「家路」という曲の中から何かをつかまなければならないのではないでしょうか。

僕は、この「家路」という曲には、それだけのエネルギーがあるのだと信じています。
この曲は浜田省吾が生んだ傑作のひとつとして歴史に残すことが必要なのだと思うし、おそらくは浜田省吾自身もそう考えているはず。
となると、僕は「新しいスタート」をしようとしている浜田省吾のこれからに、もっと期待したいと思うのです。
「ベスト・アルバム」で場を繋ぐのではなく、堂々とオリジナル・アルバムを引っさげて、ライブツアーに入ってほしかった。
まあ、本人もコメントしていることですが、この「ベスト・アルバム」を聴くことによって、浜田省吾の新たなリスナーが増えてくれるのであれば、それはそれで嬉しいことなのですが。

| 全曲レビュー(27-The Best of Shogo Hamada) | 21:22 | - | trackbacks(9) |
| 1/1PAGES |