浜田省吾1979年発表のアルバム「マインド・スクリーン」収録曲です。
現在の浜田省吾の一種異様とも思えるマニアックな人気からは想像することができないほど、当時の浜省はどん底の時代でした。
作る歌作る歌が全然売れなくて、メロディは良いけれど歌詞がダメだなんて言われて、職業作詞家の人たちの歌詞に曲を付けていたのもこの頃のこと。
アルバムの中でも、自分の歌詞と他人が書いた歌詞が同居するという、ちょっと複雑な構成になっています。
この「若い夢」は、浜田省吾本人の作詞による作品で、当時の浜田省吾をもっとも良く表現している作品のひとつだと僕は思っています。
若い夢 追いかけて ひたすら駆けてきた
子どもの頃の貧しい日々 怒りをバネにして
偽りも裏切りもかけひきも飲みほし
遠くへ ただ遠くへと ここまで来たけど
坂道を振り向けば そこにいたはずの友も恋人も見えない
でももう今は引き返せない
まるで悪い夢を見ているみたいだけど
この頃の曲というのは、面倒くさい解説なしで、ストレートに響いてくるメッセージ・ソングが多かったように思います。
「若い夢」というのは、もちろん、プロのミュージシャンになってブレイクすること。
逆境をバネにしてここまで来たみたいな表現は、長渕剛の作品にも見られる傾向がありますが、当時のミュージック畑にはそうした生き方を作品に反映させるという手法が珍しくありませんでした。
主題は、坂道で振り返ってみると、そこには誰もいなかったという部分でしょう。
坂道は上り坂だったに違いありません。
プロになって成功してやろうと長い坂を上り始めて、いつまでも見えない坂の向こう側、ふと気が付いて振り返ったときには、一緒に坂を上り始めたはずの友達や恋人の姿がありません。
完全な孤独の中で迷い込んでいる作者が、そこにはいます。
けれど、作者はそこで諦めたり、坂道を戻ろうとは思いません。
まるで悪い夢みたいだけれど、もう引き返せないんだ、この坂道を上り続けるしかないんだという思いのままに、長い坂道を上り続けようとしています。
あるいは、それは、エネルギッシュな気持ちではなかったのかもしれません。
「どうしようもできない」という気持ちが支える惰性のようなものだったのかもしれません。
けれども、やはり大切だったのは、「彼が坂を上り続けた」ということだったような気がします。
飛び跳ねて落ちていく つかの間の刹那を
つなぎあわせ生きてきただけ 何ひとつ得られずに
僕はただ無駄な日々 過ごしてきたのか
もう一度やせた翼で 何処へ飛び立とう
黄昏に触り向けば 涙がこぼれちまう 一人 帰り道
でももう今は引き返せない
まるで悪い夢を見ているみたいだけど
2番に入っても、作者の苦悩は安らぐことがありません(笑)
「僕はただ無駄な日々 過ごしてきたのか」という自分への問いかけは、中原中也の「おまえは何をしてきたのだと 吹きくる風が私に云う」と同じように、人生の途中で人が持つ内省的なものだったのでしょう。
「もう一度やせた翼で何処へ飛び立とう」はかなり痛々しい表現です。
もう一度飛び立ちたいという気持ちはあるのに、何処へ飛び立てばいいのか分からない、それが当時の浜田省吾だったのです。
現在の浜田省吾を見ていると、そんな時代があったなんて嘘みたいですよね(笑)
でも、僕はこの当時の浜省の作品がとても好きだし、そこには実体験を伴わなければ書けないリアリティがあります。
現在のリスナーは、浜田省吾にそんなものを求めたりはしないかもしれませんが、僕にはやっぱりこうした苦悩があってこその浜田省吾なのです。
実際、自分の暮らしが苦しかった時代には、何度もこの曲を聴いたし、どこかでこの曲に救われ続けていたような気もします。
僕はあの時代を忘れようとは思わないし、浜省本人にもそうした悔しさを忘れてほしくはありませんね。