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浜田省吾を聴いてみたい方に
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あの頃の僕
浜田省吾1978年発表のシングル「涙あふれて」のB面として収録された曲です。
オリジナル・アルバム未収録曲でしたが、1997年企画盤「初夏の頃」でリメイクされて収録されました。
ここでは古いシングルバージョンのお話です。
テーマは「あの頃の僕」。そのまんまですね(笑)
もちろん歌っている主人公(=浜田省吾)も若者なんですが、その若者が少し前の自分を思いだして回想している、そんな歌です。

あの頃の僕といえば
両手にあふれるほどの悲しみをもてあまして
一人 朝まで踊ってた
あの頃の僕といえば 錆びついたバイクの上で
すれ違う少女みんなに 一人勝手に恋してた
とにかく何もかもがうまくいかなくて、満足感や達成感を手にすることのできない若者の焦りが全体にあふれています。
「両手に溢れるほどの悲しみ」という表現は、過去の自分を冷静に見つめることができるからこその表現で、リアルな悲しみの中にいては、おそらく歌うことの難しい感情だったのではないでしょうか。
そういう意味では、この歌は「あの頃の僕」よりも今の僕は成長しているという成長物語と考えることもできるわけです。

「すれ違う少女みんなに 一人勝手に恋してた」も、覚えのある男性には切ないフレーズなのでは。
恋愛関係で満たされていない男性にとって、こういう状況というのはツライものがあります。
「少女みんなに恋してた」ということは、本当に好きな女の子が見つからない状況を意味しています。
そういう状況の中で、男の子は"これから好きになるべく女の子"を、常に探し続けているものです。
"恋をしたい"という欲求が強いほどに、擬似恋愛感情は強くなります。
つまり、日常生活が充足されていないことを推測させるに、とても効果的なフレーズだということなんでしょうね。

あの頃の僕といえば 悲しみの理由など知らず
何もかもに噛みついては 歌ってた
主人公の最も歌いたい言葉が、やっぱりこの部分なんでしょうね。
「悲しみの理由」は、もちろん主人公でなければわかりません。
けれども、僕たちオーディエンスはこの「悲しみの理由」が、音楽で成功することのできない若者の姿と重ね合わせて推測することはできます。
音楽で成功したい、それも"ビートルズ"のように新しい時代を築くムーブメントを起こしたいと考えていた若者にとって、現実の業界は想像以上に厳しい世界だったに違いありません。

この歌は、やがて成功するだろう若者が"両手に溢れるほどの悲しみをもてあましていた"時期の、大切な記録として、僕は非常に重要な作品だと理解しています。
| 全曲レビュー(☆シングル☆) | 20:15 | - | trackbacks(0) |
恋の西武新宿線
浜田省吾1979年発表のアルバム「君が人生の時…」収録曲です。
もっとも、この曲は、浜田省吾がソロデビューする前に在籍していたバンド・愛奴のファースト・アルバム「愛奴」に収録されたのが初出でした。
ちなみに、「愛奴」からはこの曲の他に「二人の夏」「夢にいざなえ」「初夏の頃」などが浜田省吾のアルバムに収録されています。

テーマは「すれ違った愛」。
浜田省吾のラブソングにとっては、最大のテーマといってもいいテーマですね。
心がすれ違い始めた二人の切ない別れを描いています。

白いホームにビルの影が 蒼く広がり ベルが鳴り響く
九月の夕暮れ 人波流れる
街灯りともる 西早稲田通り

うつむいて「さよなら これでもうお別れね」
ふりむいて独り言 「愛してる いつまでも」
明日からは またもとの寂しいギター弾き
煙草けむるキャバレー
君に聞かせてあげよう 悲しい気持ちを
作り笑いの陰のため息
タイトルに鉄道の路線名が入っていたり、歌詞の中に「西早稲田通り」なんていう通りの名前が入っていたりするのは、実に1970年代らしい特徴です。
1970年代には、吉田拓郎「高円寺」や甲斐バンド「新宿」などという名曲がありました。
また、「♪中央線よ 空を飛んであの子の胸に突き刺され」というフレーズで有名な友部正人の「一本道」も1970年代を代表するフォークソングのひとつです(ザ・ブームの「中央線」が友部正人の「一本道」にインスパイアされているというのは有名な話)。
実に、1970年代というのは、若者達の文化が"都市"と密接な関係を保っていた時代でした。
まさに"都市"は生き物であり、若者達はその"都市"の中で新しい文化を形成していったのです。
現代のように通信事業が発達した社会では、"都市"の持つ重要性が薄れ、かつて若者達をとらえた鉄道や街という存在は大きな存在ではなくなってしまっています。
浜田省吾の最近の曲でも、「いろんな国を旅してきた」とか「彼女のいない国へと飛んでいくのさ」など、歌詞の世界が非常にグローバルになっていることも時代の現れなのかもしれません。

「君の髪 もう少し長ければ恋したよ」
「あなたの唄 もう少し聴けたなら恋したわ」
お願いだから 次の電車に遅らせて 夜の街を歩こう
数ある浜田省吾の作品の中でも「名フレーズ」と呼ばれる有名な歌詞はいくつもありますが、このフレーズも歴史に残る浜田省吾の「名フレーズ」ですね。
お互いの心がすれ違っている原因があたかも髪の長さや歌にあるようなフレーズは、まさしく若さの証明といえるのかもしれません。

初期の浜田省吾の作品には、こうしたピュアなラブソングが多いのですが、こうしたピュアな作品にこそ、本当の意味での浜田省吾が登場しているような気がします。
それは、浜田省吾がフィクションな作品よりも、ある意味ノンフィクションに近い作品を得意としてきた作家だということと関係があるかもしれません。
私小説的な部分をちらつかせることで、オーディエンスの共感を得て、そこから彼自身も成長してきたのではないかという気がします。

サウンド的にも完成度の高いフォーク・ロック・スタイル。
当時は、シティ・ポップスと呼んだものかもしれませんが、「愛奴」時代の曲だという違和感は全然ないくらいにアルバムに溶け込んでいます。

現在のライブでも演奏してほしい曲のひとつですね。
| 全曲レビュー(5-君が人生の時) | 21:20 | - | trackbacks(0) |
ミス・ロンリー・ハート
浜田省吾1979年発表のアルバム「君が人生の時…」収録曲です。
等身大の浜田省吾が登場してくる爽やかな青春ポップス。
テーマは「ミュージシャンの恋」。
ライブが終わった後に出逢った素敵な女の子のことを歌った歌です。

ステージ降りてきた時に 君は楽屋のドアにもたれて
冷えたビール 僕に渡して「よかったわ」と微笑んだ
ステージ後の寂しさ 吹き飛ばそうと街へ出かけた
陽気なバンド仲間達と 車に乗り込んで
どこから来たの? ミス・ロンリー・ハート
こんな夜は傍にいてほしい
優しい男達が君の耳もとで囁く
恋のかけひき 苦手な僕は ただ遠くで見てただけ
楽しかったライブが終わった後の打ち上げで、主人公は気になる女の子に出逢いますが、恋のかけひきが苦手な彼は、他のバンド仲間達に遅れを取ってしまいます。
こういうミュージシャンのラブソングとしては特殊と思えるくらいの弱気なラブソングですが、そこがやっぱり浜省らしいということなんでしょうね。

どこから来たの? ミス・ロンリー・ハート
こんな夜は傍にいてほしい
でも いつの間にか君 他の誰かの腕の中で踊り続ける
そして いつしかどこかへ消えていった
結局、彼女はいつの間にか別のバンドメンバーの誰かと、どこかへ消えてしまいます。
ほのかな恋心を抱いていた主人公の切なさが余韻として残る、まさしく青春のポップスですね。
サウンド的にも爽やかなウエスト・コーストのフォーク・ロック・スタイルで、歌詞とメロディがぴったりと合ってます。

子供の頃から、こういう青春サウンドが好きで、ギターで良く弾いてました(笑)
今でも時々思い出したように歌ってしまう曲ですね。

浜田省吾のこういう初々しさが本当に大好きでした☆
| 全曲レビュー(5-君が人生の時) | 21:33 | - | trackbacks(0) |
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