1988年発表のアルバム「Father's Son」収録曲「RISING SUN-風の勲章」です。
このアルバムのコンセプト自体が、日本の戦後を問う重いものでしたが、そうしたコンセプトを象徴する作品となっています。
直接的で強いメッセージは、当時の日本社会を斬るものとして、話題性の強い一曲だったように思います。
テーマは、ずばり「日本の戦後」。
いくら社会派メッセージソングの浜田省吾といっても、当時の日本のメジャーなロックシーンの中で、この曲は極めてヘヴィでシリアスな主題を正面から扱っていました。
焼跡の灰の中から強く高く飛び立った
落ちてゆく夕日めがけ
西の空を見上げて飢えを枕に 敗北を発条(バネ)に
風向きを道しるべに駆け抜けて来た
過ぎ去った昔の事と 子供達に何ひとつ伝えずに
この国 何を学んできたのだろう
ファースト・ブロックのフレーズは、詩としての完成度が非常に高いものとなっていて、この印象的な部分を強く記憶している方は、きっと多いことだろうと思われます。
特に、「焼跡の灰の中から」という出だしは、東京や広島、長崎といった大規模な被害を受けた敗戦後の都市を想像させるに、十分な説得力を持っています。
そして、飢えや敗北といった事象が、戦後の日本人を強く奮い立たせ、高度経済成長を遂げたことを示す一方で、「戦争」についての記憶が薄れていこうとしている日本社会に対する強い苛立ちを表しています。
印象としては、敗戦の焼け跡の中から立ち上がってきた強い日本人をイメージさせていますが、実際のテーマは、もちろん後段部分の「子供達に何ひとつ伝えず」というフレーズに集約されているわけです。
飽和した都会 集う家は遠く
ブラウン管の前でしか笑わぬ子供
老いてゆく 孤独の影に脅え 明日に目を伏せて
踊るだけ Beatに委ね バリーライトの海で
何を支えに 何を誇りに走り続けて行こう
You jusr believe in money.
実は、ファーストブロックの歌詞に比べると、セカンドブロックの歌詞は、かなり荒削りな仕上がりになっています。
(1988年当時の)現代社会を端的な言葉で表現しようとしているのですが、それがうまく全体の流れに乗っていない、どちらかというと作為的な作者の意図が強く全面に出る形となっていますが、これが作者の意図するものだったのかどうかは不明です。
また、描かれている現代社会が、どちらかといえばステレオタイプな現代日本であることも、全体の歌詞の中で違和感を覚えさせていることも、やはり確かでしょう。
「ブラウン管の前でしか笑わぬ子供」や「踊るだけ Beatに委ね」といったあたりのフレーズが、表現的にあまり浜省的な昇華をされていないといったことも、違和感の理由かもしれません。
まあ、このあたりは個人的な好みの問題もあるわけなんですが。
全体的な構成としては、ファーストブロックで戦後を提示し、セカンドブロックで現代社会を提示する。
対照的な社会を並列することにより、そのコントラストを強く打ち出して、現代社会に対する批判を一層強いものへとしています。
そして、その中途半端な現代社会を築いた原因は、戦後から現代まで続く歴史の中に積み重ねられていると、浜田省吾は分析しているのです。
焼跡の灰の中から 強く高く飛び立った1945年
打ちのめされ 砕けた心のまま
1945年 焼跡から遠く飛び立った 今
最後のブロックは、どちらかといえば理屈的であったそれまでのフレーズとは変わって、感傷的な表現によるものとなっています。
「焼跡から遠く飛び立った 今」で終わる最後のフレーズは、その後に続くべきはずのフレーズが省略された形となっており、それが作品全体の余韻を生み出す要素でもあります。
なにかを一刀両断に切って捨てるというよりは、なにかを考えさせる空白を、作者はあえて作り出すことにより、日本国民へと問いかけとしていたのかもしれません。
当時のインタビュー記事の中で、浜田省吾はこの作品に関連して、現在の自分を見つめ直す時、そこには必ず自分の父親がいる、そして、自分の父親を見つめ直す時、そこには必ず1945年がある、といったようなことを述べています。
この作品が収録されたアルバム「FATHER'S SON」は、まさしく父と少年を問い直すものであり、そうした視点に立った時、浜田省吾の父の世代にとっては敗戦がすべてのスタートになっていた。
そして、その父との関係を考えてみたとき、浜田省吾のロックンロールとしてのスタートも、やはり1945年になっていたということなのでしょう。
敗戦によって、日本文化はアメリカ文化に大きく侵略されるわけですが、現在、自分たちが演じているロックミュージックがまさしくそうしたアメリカン・カルチャーそのものであることを正しく認識したとき、彼にとって「1945年」は、絶対的に逃れることのできない存在であったわけです。
ただし、当時の若者たちにとって、既に1945年は遠い歴史の中の物語のひとつになっていました。
時代はバブル景気に踊っており、過去を見つめ直す機会がどんどん薄れてゆくことに、少なくとも父親を通して1945年を振り返ることのできる浜田省吾としては、若い世代になにかを伝えたいと思っていたのではないでしょうか。