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浜田省吾を聴いてみたい方に
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あばずれセブンティーン
浜田省吾1980年発表のアルバム「HOME BOUND」収録曲です。
浜田省吾がまだ10代の人たちの代表だった時代の懐かしい曲ですね。
テーマは「17歳の女の子の苦悩」。
日常生活に満足できない少女の苛立ちがストレートに表現されていて、当時は不良っぽい女の子たちに高い支持を受けていました。

ラジオで聴くのはロックンロール
ダンスに行くならリズム&ブルース
だけど 頭はからっぽ
クラスに3人 テディ・ボーイ
学校じゃ毎日バスケットボール
だけど 頭はからっぽ
今すぐこの町出たいけど 行きたいところが見つからないのさ
そうよ あたいはいかれたあばずれセブンティーン
学校生活にうまくなじめない17歳の少女の苛立ちを癒してくれるものは、ロックンロールとディスコ、彼氏やバスケットボールです。
それでも、自分の中を満たしてくれることはない、中途半端な慰めだけが彼女の中にいつも残っています。
この町を出たいけれど、行きたいところが見つからないというフレーズが、もっとも彼女の中途半端な状態を表しています。
そして、多くの少年や少女たちが自分の中の苛立ちを持っていく方向性を見つけられないでいることも確か。

自分自身を「いかれたあばずれ」と表現するなど、町を出て行くという気持ちより既に諦めにも似た気持ちの方が、彼女には強くあるようにも思われます。
全体に彼女が無気力なのは、彼女を取り巻く生活環境の問題なのかもしれません。
万年係長の父親、汗かき太っちょの母親、女たらしの兄、バージンで澄まし屋の姉、彼女の目から見えるものはすべてがそんな不完全な世界だったのです。

毎晩誰かに抱かれて 朝まで何とか幸せ
だけど 心はからっぽ
お酒も煙草もクスリも 何でもかんでも試した
だけど 心はからっぽ
愛した男はいたよ 憎んだ男の数だけいたよ
そうよ あたいはいかれたあばずれセブンティーン
逃げる場所さえ見つからずに、彼女はセックスやアルコールや煙草やドラッグへと依存していきますが、もちろんそれらが彼女の心を満たしてくれるものではありません。
「愛した男はいたよ 憎んだ男の数だけいたよ」というように、まともな恋愛はいつでも男に裏切られてしまう結末。
結局、彼女は空っぽの心を抱えたまま、空虚な日々を送り続けているストーリーです。
もちろん、この歌に残る救いは彼女はまだ17歳であり、これから先いつでも人生の転機は起こりうるという可能性があることでしょう。
極端な話をすれば、17歳の男の子や女の子にとって、現状に満足できない空虚感は常に抱えうる可能性があるものであり、そういう意味ではこの歌の主人公は決して特別な存在ではなく、誰もがこの歌の主人公になりうる可能性を持っているとも言えるのです。

実際、高校生の頃、僕はこの歌がとてもお気に入りで、自分の存在意義のひとつとしてこの歌があるような気さえしていたものです。
残念ながら、年を取って、僕はこの歌の主人公に共感を感じるような年齢ではなくなってしまいました。
(なにしろ、僕は万年係長となりうる年齢に限りなく近づいている)
それでも、彼女が抱える空虚感について、僕はまだ理解できるような気がしています。
現実に僕の周りで存在している女の子たち、地下鉄の中やコンビニの前なんかで見かける少女たちのどこかに、この歌の持つメッセージはまだ生きていると思いつつ。

サウンド的にはオーソドックスなロックンロール・スタイル。
ルーツ・オブ・ロックンロールが好きな人にはたまらないですね。

ライブなどでは古くから演奏されていた曲のひとつで、有名なエピソードとしては矢沢永吉のフィルムコンサートの前座に出演した時の話があります。
矢沢ファンで埋め尽くされたその会場は、「エーちゃんコール」が繰り返され、殺気だった雰囲気だったそうです。
みんなが矢沢のフィルムを待ちわびる中での前座ほどツラいものはなかっただろうと想像されますが、この時、浜田省吾は髪の毛を即席のリーゼントにして、「ハイスクール・ロックンロール」「路地裏の少年」、そして、この「あばずれセブンティーン」を演奏して、逃げるようにステージを去ったとか。
もっとも、会場での受けは想像以上に良かったと言われています。

また、当時甲斐バンドの甲斐よしひろが初めてのソロアルバム「翼あるもの」を発表する際、この曲は甲斐に提供されました。
このアルバムは歌謡曲が大好きだったという甲斐の希望により、様々なヒット曲のカバーで構成されたアルバムで、その中に未発表曲として浜田省吾の「あばずれセブンティーン」のカバーを甲斐が希望したのだそうです。
甲斐はオリジナルのメロディ・ラインではなく、コーラス・ラインをあえて歌っていることから浜田省吾バージョンとはかなり趣きの違う軽快なポップ・ミュージックに仕上がっています。

また、1986年に発表された12インチシングル「路地裏の少年」のB面には、「LITTLE ROCKER'S MEDLEY」として、ロックンロールのメドレーがライブ盤として収録されていますが、この中でも「あばずれセブンティーン」が収録されています。
ただし、メロディはオリジナルではなく、チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」のメロディに「あばずれセブンティーン」の歌詞を乗せたもの。
若かった頃の浜田省吾が全快でロックンロールしているサウンドは、めちゃくちゃお勧めです。

かつて、10代の代弁者だった時代の浜田省吾。
今の大人の落ち着きとはちょっと違う側面が見られて、なかなか楽しいかもしれません。
| 全曲レビュー(6-HOME BOUND) | 20:29 | - | trackbacks(2) |
丘の上の愛
浜田省吾1980年発表のアルバム「HOME BOUND」収録曲です。
当時から高い人気を得ていたバラードソングですが、最近は「もうひとつの土曜日」や「星の指輪」なんかの陰に埋もれて、隠れた名曲になってしまっているようです。
テーマは「愛はお金で買えないんだよ」というピュアなラブソング。
ストーリー性のある歌詞が、この曲を映画のようにイメージさせます。
笑顔一つでいろいろな男性を虜にしてきた女性が主人公。
彼女は本当の恋をしようとはしないで、様々な男性と遊び歩くだけ。
その彼女が初めて心を奪われたのは、金もない、ただ夢だけを抱えた男の子。
けれども、彼女は贅沢な生活のできる未来を手に入れるために、丘の上に住む金持ちの男性に抱かれてしまう。
豊かな暮らしを手に入れたものの、彼女は男の子のことを忘れられなくて、毎晩のように丘を駆け下りていく夢を見ながら泣いている。
という、なかなか凝ったシチユエーションのラブソングです。
で、結論として、「愛が買えるなら、その涙の理由を教えて」ということになるわけです。

君がただひとり 心を奪われたあいつはまだ若く
夢の他には何も持たない貧しい学生
だけど9月の雨の夜 
君は丘の上に住む誰かの氷のような腕に抱かれて
未来を手に入れた 愛とひきかえに
「丘の上に住む」暮らしは、お金持ちの生活のイメージ。
浜田省吾の中にあるアメリカ西海岸のリッチな人たちのライフ・スタイルが下敷きになっていると思われます。
インタビューの中でも、ロスに行かなかったら書けなかったみたいなコメントがありましたね。
SIONの歌の中にも「あの丘の上のロールスロイスには、3人の牧師が乗ってる」というフレーズがあり、裕福な人々は丘の上に暮らしているという概念が前提条件となっています。
おそらく、この歌の基礎となっているのはイーグルスの「偽りの瞳(LYIN'EYES)」ではないかと思われます。
お金持ちと結婚したものの、愛のない生活に耐えきれず、丘の下に住む若者のもとへ毎晩出かけていく女性を描いたもので、愛はお金では買えないんだぜっていうメッセージがあふれています。
逆にいうと、愛のない生活がどれだけ惨めで辛いものかを訴えかける要素も強いわけですが。
「氷のような腕」という表現に、彼女が相手の男性を愛していないことを推測させています。
もちろん、相手の男性は心からこの女性を愛しているかもしれないわけで、あくまで女性の心に焦点を当てたストーリーということになるわけなんですが。

夜毎 冷たいベッドで夢見る 丘を駆け降りてく夢
愛しい人のもとへ戻ってゆくがいい
愛だけをまっすぐに見て
愛が買えるなら その涙の理由を教えて
愛が買えるなら ため息の理由を教えて
いつわらずに
お金はないけれど、愛と夢だけは持っている男の子という設定は、いかにも浜田省吾らしい設定。
少年の頃の僕らは、浜田省吾のこういう部分に憧れたんだと思います。
だから、「若い頃の計画なんて もう思い出せない」みたいなフレーズには、かなりショックだったんですよね。
ずっと信じて付いてきたんだよ、浜田先生!って感じ?

もっとも、この曲も発表当初は「リアリティがない」ということで、正しい評価を得られなかったのも事実。
日本の女性っていうのはお金で動くものじゃないっていう認識がまだあったんですね。
物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを大切にするのが、日本の女性の美意識でしたから。
それがバブル期になって、日本の女性は金さえ与えれば何でもやる、という認識になり、いきなりリアリティを持ったラブソングになってしまったわけです。
そう考えると、ちっょと悲しい部分もあるわけですが。

サウンド的にもアコースティックで、弾き語りの似合う曲、歌詞もメロディもピュアな時代の浜田省吾が満載ってやつです。
マイ・フェバリットな1曲ですね。
| 全曲レビュー(6-HOME BOUND) | 21:04 | - | trackbacks(0) |
家路
浜田省吾1980年発表のアルバム「HOME BOUND」収録の「家路」です。
当時は「地味なタイトルだな〜」と思っていましたが(なにしろ子供だった)、アルバム最後の曲ということで、この時期の浜田省吾最大の傑作ともいえる曲です。
「HOME BOUND」とは「家路に向かう」ということで、その意味ではこの「家路」はアルバムタイトル曲といえるでしよう。

「迷いと混乱の中沈んでいた70年代」に訣別をして、新しいスタートを切ったこのアルバムで、浜田省吾はスターダムへの階段を昇り始めました。
そのアルバムの中にあって、この「家路」は「今の自分」をまっすぐに見つめ、生まれ変わった自分を主張する極めて重要な地位にあります。

だけど今でも信じている 心のすべてを奪い去るような真実の愛
悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る
でも気付けば 道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活を背負って歩き出す
疲れた体 次第に何も聞こえなくなる 感じなくなる だけど
どんなに遠くてもたどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに 空とこの道 出会う場所へ
数年前まで、どこへ行くべきかも分からず、迷い続けていた浜田省吾の姿はここにはありません。
「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」と力強く自分に誓う姿は、まさしく生まれ変わった浜田省吾の姿ということができるでしょう。
そして、浜省の目標=ゴールは「空とこの道 出会う場所」で、これが現在のオフィス「ROAD & SKY」の由来ともなっています。

「人は去り 人は来る」というフレーズには、自分の回りを取り巻く様々な音楽的評価を示唆しているようにも受け取れます。
「あーした方がいいよ、こうした方がいいよ」とか「こんなんじゃ売れないよ」「こうした方がいいよ」などと、いろいろな人がやってきては好き勝手なことを告げて、そして我関せずとばかりに立ち去っていったのかもしれません。
そんな毎日を何年も過ごして、浜省は経験的に悟ったことでしょう。
「気付けば 道標もない道に一人」なんだと。
だからこそ、彼は周囲の言動に惑わされず、自分の選んだ道をただ進もうと決断したのです。

家路に向かう。
それは浜田省吾がようやく自分の「home」が何であるかに気づき、その「home」への道を戻ろうと決心したことを意味しています。
そして、彼にとっての「home」とは、そうロックンロールでした。

手に入れた形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名付け 迷いの中さまよう
ビッグネームやサクセスストーリー。
だけど、俺が本当にほしいものは、そんな形のあるものじゃないんだ。
浜田省吾はそんなふうに叫んでいたのかもしれません。

時々、僕は思います。
浜田省吾は「home」にたどりついたのだろうか、それとも、まだ「家路」を走っているのだろうか、と。
空とこの道出会う場所に、彼はたどりついたのでしょうか。
| 全曲レビュー(6-HOME BOUND) | 21:07 | - | trackbacks(0) |
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